「日本はいつでも心の中に」上海上港・フッキ、日本での思い出を語る!


“僕の人生はいつでもそう。毎朝起きた時にもっと強くなろうと考えてきた”

サッカー王国ブラジルを18歳で飛び出し、文化のまるで違う日本へ。
その後も欧州の中でも5大リーグではないポルトガルや東欧ロシアを経て、2016年に再びアジアは中国の地へと降り立ったフッキ。
ユニークなサッカー人生を歩み続ける“超人”が、新たな挑戦の地に選んだ中国の印象、
そして「いつでも僕らの心の中にある」という日本をはじめこれまでの旅路を振り返る。

インタビュー・文 藤原清美

中国の“居心地”

やって来る監督たちが、自分の哲学を植えつけていっている

――まず、中国でプレーするという大きな決断を下した、最大の動機から聞かせて下さい。

「決断するのには、少し時間がかかったよね。ヨーロッパには2008年から8年間いたんだから。
中国サッカーからオファーを受けたのは初めてのことじゃなく、何年か前にも僕を呼びたいという話があった。

で、昨年またオファーを受けた時に家族やみんなと話したんだ、機は熟したかなって。
中国サッカーは年々成長しているし、もちろん投資の額も凄い。僕が受けたオファーも、断りようのないレベルの金額だった。

でも、サッカーが凄く成長しているから来た、というのもあるんだ。
1年ごとにさらなる成長を遂げ、ビッグネームの選手たちとも契約している。それは中国スーパーリーグにとってすごく重要なことだよ」

――フッキの人生はいつも挑戦。日本、ポルトガル、ロシア、中国とまったく違う国ばかりなのに、それだけ適応できる秘訣は? 中国でも、デビュー戦でいきなりゴールを決めましたよね。

「サッカーというのは、世界のどこでも同じだと思うんだ。人間というのは、好きなことをする時には簡単に適応できるもの。僕にとってはそれがサッカーだ。
特に、新たな環境に飛び込んだ時に凄く歓迎されたり自由にやらせてもらえると、そういうすべてが助けになる。
ここに来た時もそうだったし、僕自身も大きな意欲を持ってここへ来た。

何よりもまず、乗り越えようとする気持ちだよね。確かに簡単ではない。どこへ行っても、目の前には多くののハードルがあった。
でも、僕の人生はいつでもそう。子供の頃から困難を乗り越えようとしてきたし、毎朝起きた時にもっと強くなろうと考えてきた。
そのために、日々学んできたんだ。だから、ここでも僕の歴史の一部を綴りたい。
ゼニトやポルト、日本のクラブで築いたような、美しい歴史をね。ここでタイトルを獲りたいし、多くの友情も築きたいんだ」

Interview withHULKフッキ(上海上港)“僕の人生はいつでもそう。毎朝起きた時にもっと強くなろうと考えてきた”サッカー王国ブラジルを18歳で飛び出し、文化のまるで違う日本へ。その後も欧州の中でも5大リーグで
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